全て自分の声

最近、周りの人の言葉、

自分に降りかかる出来事、

ふと目にして、何かを感じたこと、

心に思い浮かぶこと、過去の記憶、

それはすべて自分の声であることを

意識しています。

 

嬉しい、気分いい、などのいい印象を受けたことも、

イラつく、傷ついた、悲しいなどの

良くない印象を受けたことも、

全て自分の心からきているものという

視点を持つことを意識しています。

 

感情がわくということは、

自分で作り出した前提が必ずあるからです。

嫌なことがあって、

そのことに翻弄されたり、世の中世知辛いなあ、

自分ってついてないなあと思うだけで

終わることは簡単ですが、そうはしないようにしています。

 

私の何がこれを起こしているんだろう、

なぜこんなことを言わせたんだろう、

と、考えるのも、悪くはないと思いますが、

私は今はそうしていません。

分析する余地があればそう考えることもありますが。

 

なぜこんなことが起きたのかはわからないけど、

とにかくこれは私の声。

私の中の何か。

私が選んでいる、作っている。


そういう視点を持つようにしています。


自分のせい、とか思って

自分を責めたり戒めたりはしません。


あまりにも出来事がきつくて

そう考えるほうが苦しい場合は

無理にはしません。

 

ただ、世界=自分

というシステムを前提において、

そうなっているんだな、という

視点でいるのです。

 

人生は理不尽で、

自分の意図しないところで何が起こるかわからない

と思ってると怖いですが、

世界は全部、自分の何かを

反映してると意識すると、

辛い事でも自分が選んでた

っていうことは

これからは選びなおせる

変えられるんだ、と思うことができますから。


世界を全部自分だと思うことは、

世界を支配下に置けるということ、

掌握できるということ。


世界を自分で作っていたと分かれば、

優しい世界に作り直すことだってできる

そう思うし、そうしていきたいです。

 

私は、まだネガティブになりやすく、

こういった自己分析をするときでも

悪い事のほうに意識が向きがちです。

うっかり嫌なニュースを目にして

嫌な気分になったことや、

嫌なことを思い出してしまったことなどに

心が向きがちです。


それはそれで、

自分の観念や、

癒されていない気持ちに向き合うことなので、

無意味ではないと思うのですが、

 

ただ、私にも、

嬉しく思ったこと、良い思い出もあります。

それは、悪い事と同じで、

まぎれもなく自分で作ったこと。

私も、いい考えや、

自分を愛する心があるんだ、

と、しっかり確かめるようにしています

 

悪いことにばかり注目して、

それを何とかしなきゃと思いがちで、

多少の気分の良さは、

スルーしがちだったので、

いい気分を感じたら、

それに注目していくことを

忘れないようにしようと思いました。

 

意識を向けたことが、感じたことが、

信じていることが、

世界を作っていくので、


いい気分になったときに、

そこに意識を向けるのは、大事なことです。


嬉しい、幸せな気持ち、

良い思い出、

こうなったらいいなと思う理想のこと、

それらを思ったときに感じるいい気分は

まぎれもなく自分にあるもの。


そこに注目して、

たくさん感じて行けば、

現実にも、よきことが広がっていくと

信じて、やっていきたいと思いました。


信じたいというか、

理論上そうなので笑

 

世界は変えられる。

良い世界を作っていける。


できる範囲で、

少しずつ、実現していきたいと思います。